と激励の言葉を下さったY.co.jpさんに捧げる。
さて、2色問題について語ろうと思う。 2色問題とは、数学の4色問題と並び称される難題で(うそ)、2色のぷよだけでどこまで連鎖が組めるかということである。 一見、「2色なら簡単に連鎖できるのでは」と思ってしまうのだが、それは5連鎖までの話。それ以上の連鎖にしようとするとたいていどこか必要な部分が消えてしまうのである。
「ぷよ for Win3.1」のなぞぷよに2色のぷよがずっと降ってくる問題があった。なぞぷよという概念に接したのもこれが最初だったと思う。
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1996年3月のことだったと思う。友達と遊んだ帰りにMドナルドによることになった。 なぜかぷよの話になって(当時の自分がかなりぷよに毒されていたせいもあるだろうし、コンパイル社から自分とその友人になぞぷよの企画の応募用紙が送られてきていたことも関係していると思う。)、「2色だったら大きな連鎖が組めるか」といった話になった。自分もその友人も「試したけれど無理だった」と語った。 「2色だと折り返しが組めない」というのが二人(およびその場にいあわせたもう一人)の共通した意見だった。
その時、「横方向の連鎖をコの字型に折り返せないのなら縦方向の連鎖をU字型に折り返せないだろうか」という考えが自分の中に浮かんだ。
その日、友達に「出来るかもしれない」といって家路についた自分は、(誤解のないように言っておきますが、決して、ぷよの話しかしなかったわけでも、考えが浮かぶやいなや矢も盾もたまらず駆け出したわけでもありません。断じてありません。ありませんったらー。)、休みだったのでさっそく考え始めた。自分の考えは見事に当たり、12連鎖が出来上がった。その後、おじゃまぷよを加えたりして色々試してみたが、「この型で純粋に2色だけならこれが限界」との結論に達した。
これが最初だった。
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それから3日ほど、コの字型の折り返しは組めないかと色々考えていたところ(ここでも誤解のないように言っておきますが、自分は決して朝も昼も夜も夢の中でも考えていたわけではなくて、考えていたのは夜寝る前の3時間程度です。はい。)ついに一つの方法を思いついた。14連鎖になった。
ヒントになったのは自分がかつて実戦向きではないと思った「挟み込み」を駆使した5連鎖と(下1/3)、先の話に出てきた友人が見せてくれた(友人もどこか別のところで覚えたらしい。)自分とは違う種類の「折り返し及びその伸ばし方」(中1/3)である。
その後も12連鎖が出来た時と同様に色々考えてみたが、結局「純粋に2色だけならこれが限界。もしあったとしても普通思いつかないような奇妙な形をしているに違いない。」との結論に達した。これが後であんな結果を生むことになるなんて....。
「2色連鎖は14連鎖がおそらく最大だろう」という結論に達した自分は、その問題について考えるのをやめてしまった。 正直に言うとかなり自信があったので、コンパイル社のなぞぷよの企画の応募にも出しておいた。 8月下旬にに「なぞぷよ通」をやってみたが、2色問題は出題されておらず、かわりに「3色19連鎖」問題があった。 規定の応募様式にのっとらずに書いたのがまずかったのだろうか。 今思い返せば、もう他に知っている人がいて別の場所で使われていたのかもしれない。
基本的には3月以降、自分はこの問題のことは忘れていた。
ところが、11月後半のことである。
友達が点の数を数えるのに幾つかの領域に分けて数えていた。
その時に誰かが「この領域を3色で塗り分けられるかなあ。」
といったら、その友達は「やってみよう」といってやりはじめた。
「3色問題」とか「4色問題」とかいう言葉を聞いているうちに、自分はその友達がぷよをやることを知っていたので、だんだん「2色問題」のことを、その存在を、知らせたくなってきた。
「こんなことを...。」
「これ以上自分=ぷよのイメージを強めては...。」
など様々な考えが自分の行動を抑制しようとした。しかし、この程度の考えでは、楽な時期だったとはいえ連日続く作業に疲れきっていた頭と体に、自分の衝動を止めることはできなかった。
かくして自分は友達に2色14連鎖問題を出題したのである。
友達:「できたー。」
自分:「じゃあ次は2色問題だ。」
友達:「え、それ何?」
自分:「2色で14連鎖してみよう。」
友達:「...........。」
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自分はそのあと1,2回、その友達に出来たかどうか尋ねたと思うが、考えた様子がなかったのでそれっきり忘れてしまうことにした。それで全ては過去のことになるはずだった。
しかしその後、その友達はT・Y氏にきいたらしい。そして12月のある日、自分がT・Y氏の話を出した際、その友達が「君に2色14連鎖の問題を出されたけれど、T・Y氏に聞いたら16連鎖まで出来るっていってたよ。」といった。
これはまったく予期していなかった。会話の中にさらりと出てきた発言だったが、3月に3日がかりで2色14連鎖の解に達して、「これ以上の連鎖は不可能。」という結論に到達し、安心しきっていた 自分にとってはかなりの衝撃であった。
家に帰った自分は再び資料を引張りだし(もっとも見ても当時何を考えていたのかはもはやわからなかった)、改めて研究を開始した。心の片隅で「何かの間違いであって欲しい」と願いながら。けれどその願いも空しく、結局3日ほどして、15連鎖の解が見つかった(見つかってしまった)。 一番下の1/3の形を少し変えて残りをそれにあわせるるだけで、連鎖が一つ増えてしまうのだ。 もっともその消え方は自分が3月に予測したように、「普通思いつかないような奇妙な形をして」いた。
とにかく自分が考えていた「純粋な2色連鎖は14連鎖が最大」という仮説は見事に崩壊してしまった。
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ここで自分は困難な状況に陥った。「かつての自分の2色問題の考察は不完全。」であることを認めざるを得なくなった一方で、「確かに2色で15連鎖ができることまではわかったのだが、他人に指摘されなければできなかった(やらなかった)。その上、存在を指摘されたにもかかわらず16連鎖の解はさっぱりわからない。」 もはや自分に残された道は2色16連鎖の解を見つける以外なかった。
その後も、自分は研究を続けた。 思考が2色問題と年賀状と「こんなことしている自分は一体...。」という疑問の間をぐるぐる回っていた。 時には「こんなもの計算機にでもやらせないとできないよ。」と思ってやめようとしたこともあった。しかし簡単に引き下がるわけにもいかず、結局はまた新しい紙を取り出して考え続けるのであった。
結局問題は解けないまま帰省。 その後も道具を紙とシャープペンシルから、パソコンのアイコンエディタ(おいおい)に変更して研究を続け、「2色15連鎖」を改良してより少ないぷよで出来るようにはできたが、それ以上にはならなかった。
そしてついに迎えた1996年の大晦日の晩。(またしても念のために言っておきますが、年末をずっとぷよの問題を考えて過ごした訳ではありません。え、じゃあ年末の大半だろうって?そんな....あんまりだ。)時計が9時を指したのを見てもはや自分にはあきらめの雰囲気がただよっていた。
「ああ、この問題を抱えたまま年を越してしまうのか。」
「せめて年を越す時くらいこの問題から離れていよう。」
と思って、電源を切りかけたそのとき、頭の中を一条の光が...
などといったことが現実にあろうはずもなく、問題は翌年送りとなった。
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除夜の鐘もこの煩悩を忘れさせることは出来なかったらしく、年が明けても自分の気持は晴れなかった(おおげさ)。(でも、元旦早々ぷよの問題を考えていたわけではありません。そこのところをよろしく。え、1月2日?記憶が定かではございませんね、はい。) 下1/3を改良して「2色15連鎖全消し」まで思いつき、16連鎖も「鉄ぷよ入り」や「現実には実現不可能」なものまでは出来たが、相変わらず「純粋な2色16連鎖」は出来ないでいた。
解決は1997年1月5日の朝に、突然やってきた。年末に作ってあった少し少ないぷよでできる15連鎖の型の一番上の部分に、前の型に加えようとしてどうしても出来なかった改良を加えてみると、なんとあっさり16連鎖になったのである。
こうして自分の2色16連鎖問題は解決をみたのであった。
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下宿に戻ってきた自分は去年考える時に書いたメモが残っていたのに気が付いた。 どこまで考えてあったのだろうと思って見ると、何と帰省してから思いついたと思っていた「少し少ないぷよでできる15連鎖」が既に出来上がっていた。さらに子細に見ると、16連鎖の解ではないがそれに近いものまで記されていた(もっとも見た限りでは方針は正しい方向を向いていなかったようだ...と信じたい)。急に帰省することにしたので、考えた成果の引き継ぎが出来なかったようである。
まあ、「この問題を考えるのはもうやめよう」と(少なくともその時は)思って帰省したのでしょう(でも結局........)。 このために自分は無駄な時間を費やしてしまったのだろうか。 自分の休みは....そもそも2色問題を考えること自体.... 考えたくもない。
「2色16連鎖全消し」はすでに解明済み。 (「2色15連鎖全消し」を16連鎖に応用したらものの数分でできた。) 現在コンピューターに他に解がないか計算させるかどうか検討中。